こんばんは、長尾隆史です。
私たちは、新潟 燕三条でステンレスカトラリー(ナイフ・スプーン・フォーク)を中心としたキッチン用品全般を卸売りしている(有)ナガオという企業です。
この不定期な謎コラムもVol.7です。
約一年ぶり。
誰に謝っていいのかわかりませんが、とにかく申し訳ございません。
どこに着地するのかもわからないまま、ただただ長文を書き連ねているのですこしくらいは大目にみてください。
ときおり、いったい私はなにをしたいのかと自問する時もあります(いや、ごくたまにか)。うーんと、足りない頭をつかって考えてみますが、けっきょくのところ、戻ってくるところは、ただそれをしたいから。
ただそうありたいから。
エッジイな作品群を生み出し続ける作家の村田沙那香さんが紹介している言葉で『小説家というのは職業ではなく、人間のあり方の一つではないか』という旨のものがあります。村田さん自身も誰からかけられた言葉だったようです。
人間と小説(文章)が分ち難く結びついており、まだ見ぬ小説自身が小説を生み出している。そういった状況なのかなあという風に私は解釈しております。
さて、今回の話題は邂逅と町。
この燕三条、狭い町の偶然なのか宿命なのか。それともべつな言葉なのか。
まず、コラムの枕詞は一字一句変えずこれまでに七回使用しています。いってみれば、初対面の方にわたす自分の名刺みたいなもんです。
前述の通り、私はキッチン用品卸売企業というものをやっています。
卸売企業をやっていくには仕入れを行うキッチン用品製造企業というものが必要ですし、彼らが存在しなければ私はいっさい商売になりません。
なんだか過去のコラムでも書いてそうな魂ノリノリ系の内容ですが、私としては作ってくれる人がいて、売ってくれる場所がある。つまり、製造と小売を商売としている方々を最大限にリスペクトしています。
私みたいな偏屈な人間が経営する卸売企業が存続しているのは、ひとえに彼らの力によるものです。
そんな私がしていることといえば、両者の間に橋をわたして、その橋の欄干に寄りかかってタバコを吸いながらわけのわからないことを世へと喧伝しているくらいです。
横文字でいうとトリックスター的な立ち位置でしょうか。どちらにせよ、吹けば飛んでゆくような浮草であることには変わりません。
おっと、いきなり得意の脱線でした。本題に入ります。邂逅と町です。
一度目の邂逅。
昭和の終わりころ、季節は冬。
燕市のどこかにある産院で、ひとりの男児がガラス越で大量に並ぶ保育器のひとつにいます。あ、それ、私です。
かれこれ二十年以上はヒゲロン毛という見た目をやってるので、現在の私のイメージはすっかり皆様へと定着していると思いますが、あちらは生まれたばかりの赤子です。そりゃあトルゥットルゥです。
で、時代は昭和の終わりですので、まだぎりぎりで子供がばんばん産まれてます。とうぜん、私の隣の保育器にも赤ちゃんがいます。人類皆兄弟みたいな光景。
この男児は、どうやら昨日産まれていたようです。私よりも一日早い。
彼の名前は、エス。
このコラムを書いてて、やはり偶然ではなく宿命を感じますが私をイニシャルで現すとエヌです。わかるひとにはわかると思います。もちろん星新一のショートショートは好きです。
とにかく、ふたりの男児は明瞭な意識がないままで隣に並んで寝て、ときおりオギャーと泣いていました。1980年代のどこかで。田舎の田舎のどこかで。
二度目の邂逅。
平成の一けた。三条スイミングスクール。
どうして私が水泳をやっていたのか、その理由は過去の出来事の渦に呑まれていまいち不明ですが、とにかく、お隣三条市の第二産業道路の東三条あたり、寿司の花時計の信号を曲がったところに三条スイミングスクールはありました(つまりもうない)。
やはりどうしてなのか不明ですが、私はあんがいに水泳が得意でした(運動全般は下の中くらい)。
いや、ちがう。不明じゃない。
書いてて思った。明確な理由がありました。
三条スイミングスクールは、現代では完全アウトな感じなくらい指導が厳しかった。とてもふわっとした小学生がやる習い事ではない。思い返せば、あれはガチガチの水泳訓練だった。いや、競泳か。
それをたぶん、四年間くらい週二でやっていたのかな。そりゃあ、運動オンチの私でも人並み以上くらいなレベルにはなるわな。自分で感じる妙な納得感。
やはり脱線勘弁でいうと、小六の一年間だけ県央のサティ(イオンではない)に併設していたプール、ピープルに入ってた気がするんだけれど、だいたい水泳教室は一番最初にレベルに応じたクラス分けのために自由形で泳ぐ気がします。
一本泳いで、いきなり最高クラスのワッペンを渡されました。
誤解のないように、けっして、ピープルが甘かったのではないです。それくらい、当時の三条スイミングスクールは厳しかったし、全体のレベルが高かった。
で、エスとの二度目の邂逅はこの三条スイミングスクールです。
え、その前の保育園は?小学校は?
そう、お互いの住む場所はそんなに遠くないですが、保育園、小学校、がかぶるようなエリアに彼は住んでいませんでした。
もちろん、彼がエスという人物というのはわかっていたものの、まさか生まれた時に隣の保育器にいたとは知りません。だって子供だもの。
その彼も、私のことは『帰りのバスでおにぎりをくれるヤツ』として認識していたようです(本人談)。
どうやら母親同士はなんとなくこの事実に気がついていたようですが、べつに積極的に言おうとは思っていなかったようです。言ってどうなる。だって子供だもの。
三度目の邂逅。卸売業と製造業。
いろいろと紆余曲折はあったものの、私とエスはとりあえず若い大人になりました(私はあまり自信がない、どうだろうか)。二十歳くらいの男性、田舎の田舎で調子に乗りたいお年頃です。
私が入社した当時からエスの会社とは取引がありました。なんとなく、倅で次男が同級生ぽい。というのはわかっていましたが、まさか三条スイミングスクールで会っていたり、ましては生まれた時に隣にいたなんて。
正直なところ、エス自身と話して(酒抜きで)仕事の打ち合わせをしているのはここ十年くらいでしょうか。ハッキリいいますが、彼らが製造業としてやっていることはマジですごいです。
品目は、比較的廉価なキッチン用品。それをとてつもない数で作っています。
こういう風に聞くと、皆さんはどんな工場を想像するでしょうか。
『“比較的廉価なキッチン用品”を”とてつもない数”作っているのだから、漠然と、大きめなのかなあ』そんな感じかと思います。
違うんです。
未熟な私ではどれだけ筆を尽くしても表現するのが難しいのかもしれません。それでも、文章にすることに挑戦します。
ごくローカルな領域でほんとうの出来事が起きている。そこにはOJTやキャリアプランがないかもしれない。けれど、ほんとうの出来事が起きている。情報による虚構やフィクションではない、人間がほんとうに生き続けるという出来事が。
時代は令和ですが、田舎の田舎では若い大人がなにもせずにぶらぶらとしているのはあまり推奨されない状態です。これは良い悪いの話ではなく、とにかく田舎の田舎の社会はそういった状況をあまり許容しないような気がします(だから私も一度東京へいきました)。
エスの会社は確かな雇用をつくります。それも、放っておいたら社会的にはあまりよろしくない方向へと向かってしまいそうな若い大人を“ふつう”の社会へと繋ぎ止めておく役割を果たしております。
もちろん、内側から見ている景色と外側から見る景色は異なると思いますが、私にはとてもマネできない。おじさんになった今だからわかるけれど、これはとてつもない社会や地域への貢献です。生きる糧の提供。私たちは霞を食らって生きるわけにはいかないから。
それがエスのやっている会社です。
大事なことなのでもう一度言います。
エスの会社は確かな雇用を田舎の田舎につくっています。
さて、三度目の邂逅からさらに紆余曲折を経て、私とエスは四十歳を超えました。
なんというか、いろいろな出来事がありました。そりゃあ、人間だもの。
今はこの邂逅が偶然であろうが宿命あろうがどっちでもいい。
ほんと、心底どっちでもいい。
なぜならば、重要なのはそこじゃない。
分ける前、分節化の手前。重要なのはそこだ。もちろん、だからといって安易な抽象には逃げない。考える。対になる出来事の手前にはどんな出来事がある。
私はアカデミックな人間ではない(高卒)。
いいおじさんになって、初めて知の体系というものを知った。それが身についていなければ潜れない深い場所があることも知った。
だから学ぶ。だから考える。だから行動する。
田舎の田舎。
燕三条地域。
現代の現実でいろいろな出来事と対峙しながらなんとか生き延びている二人の男がいる。
邂逅は、ただその二人の男の現在の総体を示している。
今回はこの辺で、それではまた。
2025/11/12

こういうのの商品画像に出るの大好き
P.S 近年の私の推しはレベッカ・ソルニット
