越後商人のべつに悪くはないコラム vol.4

こんばんは、長尾隆史です。

 

私たちは、新潟 燕三条でステンレスカトラリー(ナイフ・スプーン・フォーク)を中心としたキッチン用品全般を卸売りしている(有)ナガオという企業です。

 

さて、2023年も最終営業日となりました。いやあ、この一年、いろいろありましたね。ありすぎましたよ。激動といっても過言ではない。

まずは、コロナ渦や物価高を引きずりつつも出口が見え始めた2月24日…。

なんていうふうに、ふつうに、一年の総括を私がすると思いますか?

もちろん、私なりにいろいろと思うことはありますし、なんだかなあ、っていう時もあります。ですが、どこでも聞けるような話は、べつに私がしなくてもいいし。こんなマニアックなコラムに目を通してくださっている貴方の要望に応えて、いささか趣の異なるコラムで一年を締めくくりたいと思います。

下記、散文なのか小説なのか作者としてもわかりませんが、文章を書きます。フィクションです。誰も、何も、実在はしません。願わくば、活字となっていればこれ幸い。すこし過激な表現が散見されます。不快と思ったら早々の離脱をお勧めします。

 

-ストリート-

 

バイト先の更衣室で昨日買った黒のコットンジャケットをハンガーにかける。安くはなかった。油の匂いが移らないか心配だ。じゃあ、そんなもの着てくるなよ。いや、そういうわけにはいかない。すぐ着たい。自己を顕示したい。それが、現代での洋服の取り扱われ方じゃないの?自転車での帰り道、夜空を見上げると口角を上げた三日月に全てを見透かされているような気がした。

もうずっと歩いている。コートのポケットにあるスマホを取り出しかけたけど止めた。ほんとうの時間を知るのが怖かった。いや、違う。なんか嫌だった。どうして、街をウロウロとし続けているのはわかっている。じゃあ、止めれば?いや、そんなわけにはいかない。身体を動かしていないと、うまく気持ちの整理がつきそうにもない。路上ですれ違う数々の笑顔にムカつく。いったい、どうしたらいい。回答のひとつとして、潰れるまで酒を呑めばいい。

競馬新聞はさ、紙がいいんだよ、紙が。スマホのチンケな画面じゃあぜんぜんやる気が出ないね。とはいえ、もう、細かい字がよく見えねえんだよ。やんなってくるよな、アンタの気持ちもわかるよ。共感。おれたちとあいつら。素晴らしき新世界。正義はひとつだって誰が決めた?ガンダムを1stから全部見てみな。だからって、左巻きにはなるなよ。正解なんてどこにもない。不安と不満を思考と身体で手なずけて、血を吐きながら死ぬまで生きる。ところで、麻布の12R、アンタはどう思う?

ダンスホールには華やかな光はなかったし、タワーマンションにはふつうの生活があった。虚構は砂上の楼観なんだ。すこし触れただけでサラサラと崩れ去る。ほんとうにそうか?どこかで重要な思い違いをしていないのか?現代。あまりにも、虚構が現実へと浸食してきているから、そんなふうに穿った見方をしているのかもしれない。実際に創ってみなければわからないね。それが砂上の楼閣なのか、千年朽ち果てることのない古城なのか。パラパラとキーボードを舞う指。ブルーカラーからはあまり良く思われていない商売だろうけれど、身体の一部である脳をフル回転してやっているのだから、これはこれで立派なブルーカラーなのだろう。

「この場所でたむろしないで下さい」「どうして?なにも悪いことはしていない」「いいえ、みんな、あなた達のことを怖がっている」チッと舌打ちをして立ち上がる。ムカついたけれど、頭のどっかではなんか申し訳ないような気分にもなる。わかってる。ワルぶってる。だけどな、路上では時に必要なんだよ、威嚇と顕示が。ナメられたら終わりの世界だ。虚勢を張って生きるのもラクじゃない。ほんとうの悪ってなんだろう。回り始めたかに見えた思考は、走り出したバイクの風によって吹き流されていった。

2chはさ、まだ全然よかったんだ。あそこにはさ、なんていうか、最低限のマナー…、違うな、モラルみたいなのがあった。例えばさ、どっかがぶっ飛んでない限りは、路上を裸では歩き回らないだろ?そういうことだよ。今のネットはマジで無法地帯だね。なんでもアリ。勝ったものが勝ち。ただそれだけ。慈悲はない。文脈もない。瞬間の享楽を目的としたアテンションエコノミー。なにが情弱だよ。知ってることがあれば知らないこともある。できることがあればできないこともある。お互い様だろ?スマホやテック企業の分際で、勝手に人間の色分けをして分断するんじゃねえよ。だいたいがよ、”ユーザー”ってなんだよ。その言葉がどんな別な業界で使われているのかわかってんのか。

部屋の窓にかかる夕日や、海に沈んでゆく夕日。いろんな夕日をみた。落日。永遠に登り続けられると思うのは、言い訳と幻想に満ちている。登った山は降らなければならない。そう特別なことを言っているわけではないと思う。路上。ビルの谷間に落ちてゆく夕日。ほんとうは、こういう時こそ論理の出番なはずなのにずっと見当違いで、その場限りで、明後日の方向をみているように思える。いいか、よく聞けよ。今、ここに、ここで、一億人のべつべつな考えをもつ人間がなにかの縁で暮らしているんだ。数字を七十億に引き上げてもいいけれど、さらなる困難にぶち当たるからここでは止めておく。他所の街の争いには口を挟まない。ひとまずは、そうしておく。それよりもなあ、立ち尽くして夕日をみたことがあるか?すこしでもその心中に寄り添ったことがあるか?ないならせめて、想像しろよ。たとえそれが虚構であったとしても。

どうしてラーメン屋の店主は、写真に写る時に腕を組んでむつかしい顔をして収まっているのだろうか。わかった。あれは、築いた城・場所・人たちを背に、身体を張って守る漢のポーズだ。たぶん、それには、男も女も関係ない。自分以外の誰かや何かを守る。男も女も関係ない。そこに、保守のレッテルを貼りたいのならばべつに構わないし、止めはしない。そういうの、興味ないし。「それはいったい誰から・何から守るんだい?」うるせえな、つべこべ言うなよ。修羅場を経てからもう一回聞いてくれ。路上。減ってはいるけれど、うじゃうじゃいる若者たち。なかにはいい歳してるのもチラホラいる。このなかで、漢になるのはきっと二割程度なのだろう。悲観的なわけじゃない。ドライに考えればそういうものだ。かといって、路上は無関心の場所じゃない。交差する場所だ。過剰に隠す必要なんてない。交わり、守って、突き破って、離れて、どこまでも行って、そしてまたここで会おう。

(了)

 

 

今年も1年、誠に有難うございました。

私たちが事業を継続できているのは製品を購入していただける貴方がいるからです。

その期待に恥じぬよう、2024年も全身全霊で業務に取り組みます。

来年も、宜しくお願い致します。

 

 

2023/12/29

長尾隆史

ギーク猫ちゃんTシャツを着てご満悦なおじさん